保育園生活が終わった長男と、その5年を振り返る

長男の保育園生活が終わった。


数日後にはぴかぴかの小学生だ。




やんちゃな男の子ふたりを連れての自転車での通園は、結構しんどかった。


雨の日も風が強い日も、寒い日も暑い日も、わたしの体調があまり良くない日も、イヤイヤ騒いでいる時にも仕事には行かなければいけない。


水筒も毎日洗わないといけないし、仕事で疲れていてもごはんやお風呂、歯磨きは絶対しなくちゃいけない。


「早く大きくなってくれ。こんなしんどい生活はいやだ。」

そんなふうに思っていた。


でも。

やっぱり終わってしまえば、心臓の赤と青が混ざり合ってギュっとなり、それがスイッチになってそのまま目からじわっと涙が出てくる。



さみしいんじゃない。嬉しいでもない。


この気持ちをうまく表現している人っているの?笑


今回は、子どもたちとの思い出と記憶を残していこうと思う。

長男との生活は、本音を言うとしんどかった。

長男が悪いんじゃない。

私が母として親として、人間としてうまく機能していなかった。

もともと自分のペースでやりたいことをやらないといけない性格。

きまったルールに従って何もかも進めたい。

それが崩れると混乱する。

タスクが増えるとパニックする。

そんな私が育児をするのだ。うまくいくはずがなかった。


「乳児期の赤ちゃんはほとんど寝ています」

寝ないやん。泣いてるやん。

「泣いている時はお腹が空いているかおむつが気持ち悪いので変えましょう。」

やったけど泣いてるやん。

「抱っこしてあげましょう。遊んであげましょう。」

やってるよ!!!!!!!泣いてるよ!!!!




家にいるとずっと泣いている気がする。

ふにゃって言うだけでも、ドキッとする。心臓がドキドキして、またあのイヤな音を出すのかとヒヤヒヤする。


抱っこしてゆらゆらしてもずっと泣く。

おろしたら起きてなく。


ずっと家の中を抱っこ紐でうろうろしていた。



こんなことを書いたら、ドン引きされて児童虐待と言われそうだが、生後6ヶ月ぐらいの時ふかふかのベッドを用意して5センチ上ぐらいからポイって落とした。


もうしんどかった。



あの頃はまだ夫は家の近くで働いていて、お昼ごはんも食べに帰ってきていたのでなんとか乗り切ったと思う。


夜中もずっと泣き続ける長男のことを、夫と毎晩お酒とアイスを食べながら作戦会議をした。


当時夫がいなかったらどうなってたんだろう。








1歳すぎて育休も終わると思っていた頃。

保育園に入れよう。そうしたら、少しは気晴らしになるだろう。



そう思った矢先。

次男を妊娠した。


保育園にはすでに申し込みも出している。

当時は、「保育園落ちた。日本死ね。」が流行になっていた頃。


次男の出産予定日が6月。


このまま申し込んだままでいいのだろうか。

他の働きたいお母さんに譲ったほうがいいのではないか。


でも、今を逃すと2歳児クラスからは保育園に入りづらくなる。


そして、今の私でふたりを育てられるのか。


そんな悶々としていた日々。


私は、近くの保育園に設置されている児童館に長男を引き連れて毎日のように足を運んでいた。


そこには保育園の先生がボランティアとして遊んでくれたり、相談に乗ってくれていた。


そんな私を見ていた先生。悩みを打ち明けた。すると、


「妊娠のことは黙って保育園に入れていいと思うよ。仕事は復帰絶対するんでしょう?」


そう言ってもらった。


実際、本当は悪いことだと思う。だけど、これがなかったら私は長男と今も生活していたのだろうか。

イヤイヤ期と乳児を連れての通園

次男の出産予定日が6月末だったので、5月ぐらいまでは仕事をしようと思っていた。


思っていたのだが、実際はうまくいかず、慣らし保育3日目の検診で切迫早産で緊急入院となった。


1歳8ヶ月の息子と、あいさつもなしに急に別れることになってしまった。




辛かった。

なんでもっと体を大事にしなかったんだろう。

おなかの赤ちゃんもまだ30週。


お腹はすごく張るし、切迫早産の点滴で湿疹が出てると言われ、近くの病院から救急車で市大まで搬送され、ますます会えなくなった。


結局わたしの体が点滴に耐えきれず34週で次男を出産。


なんかもう、この時点で体も心も疲れていた。



家に帰れたことはすごく嬉しかったけど、長男のイヤイヤと次男に母乳を届けに毎日病院に通う生活。

体力が落ちていたので、疲労がすごかった。


次男も無事退院できると、今度はふたりを連れて保育園の通園。


まだ次男が首が座っていない頃は、歩いて保育園に連れて行く。

歩いて20分はかかった。

雨の日はカッパを着て、バギーにカバーをつけていく。



次男の首がやっとすわった頃に抱っこひも、長男を自転車に乗せるのだが、イヤイヤで後ろで暴れるのを抑えながら自転車を漕ぐ。


自転車が危ないので歩いて行こうとするも、長男が信号のある横断歩道でしゃがみこむので、ふたりを両腕に抱えて走ったことも何度もあった。

ストレスのピーク

乳児の頃は連絡帳があって、そこに日々の生活を書き込んでいた。




先生との連絡帳のやりとりは私を救ってくれた。


でも私の中で、「働いてもいないのにこどもを預けていいのか。」という気持ちがずっとあった。


乳児クラスの保育園利用は働いている人たちのためにあるものだ。と思った。


「この子を連れて行くのも大変ですし、私は働いてもいないので保育園を辞めようと思います。」


これを連絡帳に書くと、担任の先生が私を呼び出した。


「お母さん。本当にしんどいんだよね。育休が終わったら仕事戻るんでしょう?

けんちゃんはこのまま保育園におらせて。

おうちとこの保育園をけんちゃんの居場所にするから。

第二の家だと思って。任せて。」



その時から先生は、頼りになって信頼できる人で優しかった。


「この子の気持ちが分かりません。」と大泣きしながら相談したり、ほんと私は困った母だったと思う。


保育士のお仕事があるだろうし、もしかしたら帰る時間かもしれないのにも関わらず、夕方に長い時間をとって話を聞いてくれて、「お母さん、大丈夫だから。」と励ましてくれた。


あの先生には本当に頭が下がる思いだ。

私たち家族が今も笑顔で過ごせているのは先生のおかげです。

落ち着いてきた子どもたち

なんだかんだあった長男。そんな子が無事卒園した。


次男は次男で、34週で生まれたため、「障害が残るかもしれません。」と市大の先生に言われたものの、元気に育っている。

(発言や動きにクセが強くて難ありだが)


保育園の先生にも「けんちゃんはもう小学校でも大丈夫だよ!ほんとかわいい子!!」と言ってもらえた。


あの頃は地獄と思っていた日々は、過ぎ去ってしまえば遠い昔のように思える。



ケンカも多いけど仲良く遊んでいるし、大人になってもふたりで旅行に行くような関係でいてほしい。



母はあなたたちのおかげで少し大人になれました。


そして、大好きです。

夫ひでちゃん、そして周りで支えてくれた人たち

私はひとりで育児をしているとは思っていない。


むしろ周囲の協力がなければ今のかすみんちはないと思っている。



まずは夫のひでちゃん。


彼は次男が生まれてから毎年のように転職し、私の心は落ち着かないことが多いのだが、我が子が好きという気持ちは一緒。

さらに、わたしのことがかなり好きなので(変わり者)、本人に愚痴や悪口を言っても受け止めてくれる。


戦友みたいな関係でもある。

彼とは死ぬまで一緒にいるだろう。




さらに、私が働いている職場の院長とタコ先生、オハギさん。


普通、育児が上手くいかなかったり雨が降ったからといって遅刻や休むことは許されないと思うけど、それを全て受け入れて、融通をきかせてくれたことにすごく感謝している。


他の人に話しても、「そんないい職場ないで!」と言われるほどだ。


職場に育児に対して理解者がいることは、本当にラッキーだ。


ここで追い込まれていたら、どうなっていたのだろう。



私は人生で関わる人に恵まれている。


そしてそれは子どもにも通じる。











とにかく、これだけは言いたい。






みなさまありがとうございます。

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